いやぁー、ボクの中では「怒る」という行為そのものがアウトだと思っていたんですが、なんと条件付きで許容されるという新定義を見つけちゃいました。
ということで、今回は怒りの限定解除についてこねくりまわしてみたいと思います。
さて、この新定義の限定解除を提唱しているのは、脳科学の書籍では有名な苫米地英人さんです。書籍「怒らない」選択法、「怒る」技術からです。
最近はAmazonのKindle Unlimitedで立ち読み感覚で本が読めるので、サクサク本を読んでいるんですが、そんな本の中の1冊です。
とは言っても拾い読みに近い感じなのでもしかすると趣旨が違うかもしれません。正しく理解するためにも、ぜひみなさんも気になったらこの本を読んでみてください。
怒るための条件2つ
さて怒るための限定解除とはどういうことかというと、怒るには条件が必要という考え方です。その条件に満たないものは怒るに値しないということですね。
ではさっそく条件を見てみると、
1.相手に過失があり、その結果として自分に不利益が発生した
2.その結果が想定外だった
不利益を被ってない人が怒る国ニッポン
第一条件はなんとなくわかりますね。これなくして怒っているのも阿呆みたいに見えますが、意外にもマッチしていない怒りというものが世の中には結構あります。
例えば有名人の不祥事とかですね。誰それが不倫をした、誰それが汚職をした、などなど。まぁ間接的には影響があるかもしれせんが、ほとんどの場合は微々たるものです。
あとは失言系もやや近い印象を受けますね。名指しで罵倒するのはどうかと思いますが、広い対象に対しての失言は、自分自身の品格を落としているだけなので、放っておけばいいと思います。
想定できるなら怒ってはいけない
続いて第二条件についてですが、著書では乙武さんの飲食店批判の件を引き合いに出していました。
某飲食店に行った際に、ひどい扱いを受けたと名指しでSNS上で批判したところ、かえって乙武さんが批判されてしまったという事例です(ボクは知りませんでした)。
この事例、世間的な判断としては乙武さん側に避難が傾きましたが、苫米地さんの言い分だと乙武さんは怒って当然であり、このケースでは言い方に問題があっただけ、とのことです。
どこが想定外だったのかというと、乙武さんはこれまでの飲食店では障害を持っていることでひどい扱いを受けなかった、という主張があり、この部分が第二条件に該当するという判断です。
仕事=ミスはつきもの=ミスしても怒れない
逆に、ビジネスライクな関係性におけるミスは全般的に第二条件から除外されるともありました。
なぜならビジネスはその前提にミスの可能性を内包しており、暗黙の了解として双方それを想定しているからだそうです。
まぁ確かにそうですね。絶対に成功するビジネスなんてありえませんし、ミスをしない人間なんていません。
怒りを我慢しないための合理的な条件付け
こうしてみると、自分が不利益を被り、それが事前に想定できないものだった場合は怒って当然というのも何となくわかる気がしてきました。
ちなみに怒りを我慢することがストレスになり心身に影響を与えるので、怒る時は怒り、条件を満たさないものはスパッとそう判断すればよい、というのがこの怒る技術のメリットです。
取るに足りない怒りでストレスを抱えないようにするために、条件を設けて線引きするということですね。合理的な判断だといえます。
でもこれ全然プラクティカルじゃない
じゃあこれを使ってみるか!と思った矢先、おかしなことに気が付きました。
それは第二条件についてです。
例えば、自分の子どもを殺された親は怒って当然という考え方は世間一般的です。
がしかし、子どもが100%誰かに殺されないと信じていますか?
そんなことはあり得ませんよね。意図的にではなく亡くなってしまうケースだってあります。だから防犯や交通安全の対策を講じるわけです。
そうなると不測の事態を想定していることになるので、怒る条件から除外されてしまいます。実際に殺されても怒ってはいけないといことです。
では逆に人気のない真っ暗な山道をあなたが車で運転しているときに、とっさに人が飛び出てきて事故が発生したとします。
この場合「人が出てくることを想定すべきだった」というのはちょっと酷じゃありませんか?
「こんな時間、こんな場所に人がいて、飛び出てくるなんて思わなかった」が自然な言い分だと思えます。
そうなると想定外が優位になるので、運転手側に怒る権利が発生します。仮に相手が子どもであってもです。
条件の幅が広すぎて使いずらい
つまり何が言いたいかと言うと、想定外の想定の幅は人によって解釈にかなりの幅があるということです。
誰かにとっては想定できても、ほかの誰かも同じく想定できるとは限らないんです。
んー、こうなってくるとあまり実用的とは言えなくなってきました。
そもそも条件を設けるのは、ガーっと怒ってスッキリ発散、するのが目的でしたが、相手にも怒る権利が発生している可能性があると血みどろの罵り合いに発展しかねません。ストレス解消どころか生命の危険性すら感じます。
結局は怒らないのが最善でクール
結局のところ、怒っていいことなんてないというのがボクの中の正解です。
やっぱりこの正解はなかなか揺るがないですねー
別に被害を被ったら賠償を求めればいいし、殴られたら殴り返したっていいんですよ。ただ、そこに怒りの感情はいりません。冷静に対処すればいいだけです。ゴルゴみたいに。
まぁただ、それをいきなりやれと言われても難しいんですね。つい反応してしまう。
そんな人は、まず第一歩としてこの2つの条件を使ってみると良いと思います。
特に感情的になっているときは、自分の状態を客観的に見ることができなくなっていますので、その訓練をするためのファーストステップという風にとらえると価値が出てくると思います。
ということで、この怒りの限定解除は野放図に怒りに満ち満ちている人が、そこから抜け出すための最初の1歩という位置づけですね。
最後には怒りのないクールな人間をちゃんと目指すんですよ!